Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

ル・クレジオを読み始めた話

かつて古書市で手に入れたフランス語の小説を読み始めている。
読み通せるかは自信がないが、できるだけ続けていこうと思う。

今読んでいるのは、L.M.G.Le Clézio の"Mondo et autres histoires"(1978年)という本。 著者のジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオは、2008年にノーベル文学賞を取ったフランスの作家。

調べて見ると、邦題は『海を見たことがなかった少年――モンドほか子供たちの物語』(1988年邦訳、'95年には文庫化)とのこと。

海を見たことがなかった少年―モンドほか子供たちの物語 (集英社文庫)

海を見たことがなかった少年―モンドほか子供たちの物語 (集英社文庫)

1995年には映画化もしているらしい。 いずれにせよちょっと前の話だ。

ル・クレジオ作品との付き合いはそれなりにある。
はじめて出会ったのは、大学一年の頃、2010年のことだから、もう8年目だ。とはいえ、あまり真面目な付き合い方をしてきたとは言えない。 ただ、彼がインディオ社会に飛び込んで、その文字化される未然のところから、西欧社会を批判した(している)という事実が、ぼくの研究テーマと共鳴したんだろう。大事な作家として、本棚に並べてある。

大学の図書館で手に取ったのが、確か岩波文庫の『悪魔祓い』で、これは写真も乗っている不思議な本だった(ぼくはそれまで、文庫本に写真や図版が載っているという事態に遭遇したことがなかった)。次に読んだのがおそらく河出文庫刊の長編小説『大洪水』で、長らく積んでいたのエッセイ『物質的恍惚』。ドイツにいた頃にはドイツ語訳である"Lied vom Hunger"("Ritournelle de la faim"、『飢えのリトルネロ』)を古本で買い、帰国後しばらくは私訳しようと試みたが、挫折。あとは"Mondo et autres histoires"と同時に買った"Désert"(『砂漠』)という本が控えている。

で、いまはようやく一巡して原書を読んでいるというわけだ。
フランス語を勉強しようと思ったのが、ル・クレジオと出会った後なのだから、この順番は仕方がない。

今回こうして記事に起こしているのは、この"Monde et autres histoires"という本が思いの他読みやすいと感じたからだ。「読み終えることができるのでは」という期待があるからこそ、「できるだけ続けていこうと思う」と書くことができるわけである。

邦訳で読み、比較的記憶に新しい『大洪水』とか『物質的恍惚』の方は、正直言って骨が折れた。これはどうしてなのか、まだ整理がついていない。この文章を書きながら『大洪水』をめくっているが、おそらくル・クレジオはストーリーラインとかプロットと言った構造を取っ払っているんだと思う。

Twitterとかでぼくはたまに「神話的構造が」とかいう用語を使う。これは、物語を体験するときに読者が期待する展開――「予想を裏切る」という形式を取ったりするけど――として現れているもののことを示している。でも、そもそもこの「読者が期待する展開(構造)」とやらは、どこから来たのだろうか。

それは、今まで読んできた小説、観てきた映画、あるいは小耳に挟んだ(それこそ)物語、学校生活の中で蓄積されてきた道徳的規範などから成っていると思う。広く(雑に)言えば、社会通念としてのプロットライン。

ル・クレジオはこれを解体しているのだから、ぼくは『大洪水』を読んでいるときにとても不安な気持ちになる。 ひとつひとつの記号は理解できる。でも、それぞれの描写は、手を結ぶことなく、過ぎ去っていく。まさしく"大洪水"だ。この記号の洪水を、ル・クレジオによる意味あるもの(たとえばノア大洪水とやらは試練だったりして、そういう風に位置づけることを経て、ぼくらは超常的な脅威に怯える一方、安心する)として、ぼくは処理できるだろうか。前回読んだときのぼくは、それができたのだろうか。

一方で、実のところ、ぼくは"Mondo et autres histoires"を楽しく読み進めることができている。
これはなぜかというと、今のぼくにとっては、フランス語の文を読むのが楽しいからだ。知らない単語の意味を考えること、知っている単語・文法・表現に出くわすこと自体が楽しい。 一冊の本を物語として構成できるほどに、語学力が身についていないせいもある。今のぼくは"pomme de terre... りんごだ!」と喜んでいるこどもで、自分の没入している文字の世界がどういう構造をしているかまで気が回らない。ひとつひとつの記号をつまみあげて、きゃっきゃ言っている状態――

フランス語を学んでいくということは、再び記号の波にさらわれるという悲劇を求めることなのかもしれない。

まあでもやっていきますよ、とのこと。


ちなみに、このただ外国語の文章を読むのが楽しい、という感覚でいうと、アルベール・カミュの『異邦人』なんかもオススメできる。平易なフランス語で書いてあると思うし、アルジェの砂浜の煌めくイメージがフランス語の音と文字列に反射する様子が本当に楽しい。