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ブログをメモ帳と勘違いしている

フランス語の学習歴について(2)

先日、実用フランス語技能検定試験(以下、仏検)の一級を受験してきた。

当然、玉砕した。


仏検は、毎年二回、春と秋に開催される。
2級までは、春夏どちらも受験することができるのだが、1級・準1級は別だ。
それぞれ、年に一度ずつしか受けることができない。
1級は春、準1級は秋。

個人的には、毎月とまでは言わないまでも、できれば四半期ごと、せめて年二回開催してくれという感じではあるが、そもそも競技人口が少ないのだから仕方ないのかもしれない。

参考までに、TOEICの方は、2017年度の受験者数が約270万人だったそうだ。

2017年度TOEIC Program総受験者数は約270万人|プレスリリース|IIBCについて|IIBC

このテストは年8回行われるので、一回辺りの競技人口は目安として33.75万人ということになる。

一方、2017年度仏検の総出願者数は、大体2.6万人。年二回開催であることを踏まえると、割って一回あたり1.3万人ということになる。

apefdapf.org

大体30倍いかないくらいの差があるわけだ(とことん理数系でない雑な見方)。
しかも、「受験者数」に対して「出願者数」である。
全員が受けにくるとは限らないから、仏検の方は背伸びしている感がある。

さて、その中でも、仏検1級の出願者数は、毎年700人前後から800人超えない程度。
こういう規模なのだ。

みんなもっと受ければいいのに。
良いよフランス語。
çとかouとかeuとか出て来るし。いいよね。 (発音としても、あぅおぅえぅ言う感じがとても心地よくてオススメできる)


さて、テストで玉砕したことは、自己採点をしてみればよくわかる。
より誠実に言えば、そんなことをするまでもなく、試験中に「あーダメだなこりゃ」と思う程度にはできていなかったので、実のところ自分が何点取ったのか確認していない。

それでも、ここ最近は自分なりに解答解説を作っている。
自分がどれだけできていないのか良くわかるし、今後フランス語を学習していく上で、どういうアンテナを貼っていけば良いのかも見えてくる。

結果、わかったのは「そもそも一般常識がなさすぎる」という点だ。

この辺り、世界の認知みたいな話になってくる。
世の中で何が起こっていて、どれだけそれを語れるか、みたいな話だ。

物事を聞いた読んだりできることと、それについて語れることは大きく異なる。
たとえばぼくの場合、「今年度予算はコンナカンジで、これについてはこういうヒハンがあり…」みたいな文章を聞くことはできるし、復唱することもできる(と思う)。
しかしながら、そのことを自分から発信することはできない。

母語でできないことは、外国語でもできるわけがない」というテーマに直面してきている。

空欄に前置詞を埋める問題なんかの解答解説を作成していて、特に思う。 文章はなんとなく読めてしまうし、音声もなんとなく聴けてしまう。
でもそれじゃダメなのだ。精密さが要求されている。

英語を例にすると、inとintoの違いを説明できたとしても、iある文脈でnとinbtoのどちらを採用すべきかはまた別の問題として立ち現れてくるだろう。
(ひとつのテクニックとしては、inかintoかというミクロな視点で考えるのではなく、inを含むフレーズ、intoを含むフレーズをそれぞれ別個にとにかくたくさん登録しまくる、というのがある。特定のジャンルだけでなく、とにかく広い分野で似た用例を登録しよう)

政治経済なんて興味ないけどさ、語学をやっていく上では避けて通れないらしいとの知見を得た。
これをものにしていかなければならない。

とのこと。