Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

最近考えないようにしているけれど、娯楽に対する葛藤というのがあるよなぁという話

幼い頃、僕の家には「テレビは一週間に1時間」という決まりごとがあった。1990年代のことである。クラスメイトの間では、ポケモンとバラエティ番組(「学校に行こう!」だったか)の話題が盛んだった。でも僕はそのどれも知らなかった。ゲーム機も買い与えられなかったので、なおさら心理的な距離は開いていく。世間知らずというのは、幼い少年にはとても辛かった。

中学に入り状況が少しだけ変わる。テレビがリビングから消えた。親の目を気にすることなく見ることができる場所に移ったのだ。ネット環境も手に入った。それまでの六年間を埋めるように、僕はテレビを見始めた。日中はYouTubeでアニメを探し、夜は最小音量で深夜アニメを観ていた。

今でこそ、良い経験だったと思えるけれど、当時の僕にとっては辛いものがあった。何しろ、白昼堂々見ることができないのであり、観ているアニメにしても教室で話題にされているようなものではない。この「隠れて見る」という行動からくる、後ろめたさは、アニメというものの属性であるようにも感じられていた。

実際、親父には「アニメばかり観ている」と言われたりもした。では代わりに何を見れば良いのか、どう過ごせばいいのか、という代案も出なかったわけだが(親父というのはそういう生き物だ)、当の僕自身もなぜアニメを見るのか、確固たる理由を持ち合わせてもいなかった。

おそらく、低きに流れていたのだと思う。アニメを見るというのは、受動的な行動だ。再生ボタンを押せば、あるいは特定の時間にテレビの前に座れば、自動的に面白い情報が流れ込んでくる。僕の意識は作品世界にフルダイブして、登場人物や世界観に翻弄される。現実世界ではありえない、本質的になんでもありの状況に、僕は自分が拡張されていくのを感じていた。魅了されていたわけだ。

親父は僕に人の役に立つ人間になるよう期待していたと思うので――僕が親でもやっぱりそう思うだろう――何かを生み出せばよかったのかもしれない。たとえば、自分でアニメを作るとか(多分否定されただろう)……。しかし僕はそういうことをしなかった。小説は書いていたが、それも親に見せはしなかったし。

娯楽に対する葛藤。今でも考えてしまう時がある。「こんなことをしていて良いのか?」と自分に問うてしまうのだ。あるアニメを観ていて、面白いと感じていてもそうだ。

そもそも娯楽というのは、基本的な姿勢が受動的になりがちだと思う。ある種のサービスを受ける側に回っているわけだが、そもそも自分にはその権利があるのか、という部分が娯楽体験への没入を阻害する。
では逆に、「どういった権利なるものがあれば、頭を空にして娯楽に専念できるか」というものを考えると、「社会性を十全に発揮していれば」ということになりそうだ。
この社会性の発揮というのは、たとえば労働だとか人間関係を構築・発展させていくことだったりする。どうやら僕には、娯楽が娯楽として機能するためには、基底としての苦役が必要と思ってる節がある。

基本的にストーリーとしてはこうだ。娯楽は本来許されないことだが、人間として認められる者は、その褒美として社会規範を逸脱しない範囲内で娯楽を得ることを許可する――この「人間として認められる」「社会規範を逸脱しない範囲内で」というのは、幻想的なフレーズで、僕の哲学と一致しないと思うものの、現実的にそういう制約があるような気もしている。

この「人間として認められる」とはどういうことか。世間一般に了解されるかどうかが肝になる。たとえば、クラスメイトの九割までが認めてくれると感じることができれば、あるいは信じることができれば、それは「人間として認められる」と言っても良い。 もちろん、これは感覚としての話なので、妥当性は皆無だろう。人間=クラスメイトってのは狭い世界に生き過ぎている。

「社会規範を逸脱しない範囲内で」――これは、「よくそんなことしてる暇あるね」などと言われてはならない、ということだ。批判を受けるようなことはしてはならない。

さて、お気づきだろうけど、こういった考え方には救いがない。なぜなら、「みんな」概念を中心に構成されているわけだが、この概念には際限がないからだ。

必要なのは、自分を起点に構成していくことである。「こんなことをしていて良いのか?」という問いを通訳して「今するべきことは何か? それをしよう」と言い換える。たとえば、書かなければいけない書類があるのに、アニメを観てしまっている、という状況があって、そのことについて自己嫌悪のようなものを覚えているのであれば、アニメの視聴は後回しにすべきだ。

ただしそれでも、本質的に娯楽に奥手なところ、自分に娯楽を許せない変なストイックさみたいのは拭えないんだけど(そのくせこのストイックを実践できもしない)。