Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

定期的に語学学習の意義を問うてしまう

ひけらかしってわけでもないんだけど、語学は結構得意な方で、TOEIC860点、仏検独検はそれぞれ2級とそう悪くないものを持っている。現在も勉強は続けていて、試験があるごとに挑戦している(英語はその限りではない。やる気の維持が本当に難しい)。で、何を愚痴ろうかというと、「語学って意味あるの」という点だ。

気分的な結論から言うと、語学に意味はない。ないどころか、無能さがグレードアップする

たとえば、転職エージェントとか派遣エージェントに「語学を活かした仕事がしたいんです」と言うとする。これ自体はぶっ飛んだ考えじゃないでしょ。勉強してきたんだから、それを活かして働いて、給料が欲しい。でも、大抵は「必要になる仕事はありませんね」だし、「あのね、語学だけじゃダメなんだよ。"プラスアルファー"が必要なわけ」と来ることもある。 いや何も、語学"だけ"で仕事がしたいとまで言ってはいないんだよ。語学"を活かした"仕事、必要になる仕事を求めてるって言ってるわけ。こっちの話、聞いてる? となりはするが、ないものはないなら仕方がない。

いやいや、本当に無いのか? っつー話ではある。

プラスアルファとは何か

つまり専門知識、経験のことだ。語学はあくまでも味付けにすぎない、という理解が広く普及している。
しかも、塩とか胡椒のように、なければ困るという味付けというわけではない。
なくてもいいが、あるといいよね、珍しいよね、という味付け。

ベースとなる知識や経験がありますか、と問われたところで、そんなものはない。
いやないわけもないし、うまく説明しようとはするが、そうなると今度は年齢が邪魔をしてくるわけだ。過去の経歴とかもそう。
就活現場的には「そのひとがすぐ辞める人間でないか判断するため」とのことだけど、そこまでしっかり考えているかは疑わしい。

ひとは雰囲気で相手を見がちだし、人事については特にそうだろう。 そして、問題は、大抵の人間は自分の目でものを見がちだし、その判断は責められるべきものでもないっていうところだ。
僕が無職であることを、相手のせいにしても仕方がない。

事実、弁明のチャンスは何度も与えられている。
「年齢は」「今までの経歴は」「空白の二年は何を」「これからはどう生きていくつもりですか」。
就活はゲームなのだから、相手の中に信頼できる自分(わたし)を構築できれば良い。

当然、僕なんかの場合は嘘を並べ立てることになるわけだし、それが祟って精神的に疲弊してしまったわけだけど、そういう世の中なんだから仕方がない。

話を元に戻すと、
プラスアルファとして認められるのは、職務経験だったり資格だったり専門知識である。
ただし、それらは相手がその利益を想像できるものでなければならない
翻して言うならば、この限定条件がクリアできれば、相手の不信感はだいぶ軽減されるだろうと思われる。

さて、この点で言うと、語学なんてものは愚の愚である。
「英語ができます」「ドイツ語が」「フランス語が」……「で?」という話だ。

その企業が、海外展開を目論んでいたとしても、語学に心得のある人間を採用するとは限らない。
なぜなら、海外展開にかからわせるには、まず自社の人間としての質が必要だからだ。 恭順の意を示さなければならない。

ところが、経営者レベルだと話は少し変わってくるのかもしれない(これは多いに期待するところである)。
経営者が、自社の海外進出を目論見、そこにハングリー精神を持つ若者が必要だと考えているならば、そういう人間は手が出るほど欲しいだろう。

しかしながら、この経営者目線というのは、早々に潰される。
末端は毎日の仕事に忙殺されていて、ハングリー精神の貴重さも何も……