Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

ヴォルテールほどではない

厚真で震度7 道内全戸停電 5人死亡4人心肺停止:どうしん電子版(北海道新聞) https://www.hokkaido-np.co.jp/article/225515

北海道で地震が起きた。
一口に「北海道」と言ってもかなり広範囲で、普段ならほとんど意味をなさないところだが、今回は違う。震源地が比較的近かったこともあって、結構揺れたし、ライフラインのことを考えると当事者だ。

信号は次第に復旧してきたし、15時現在、地下鉄も動き出しているとのことだが、それでも本調子にはほど遠い。経済活動は大丈夫なのだろうか、僕の仕事はどうなる、また大きな地震が来たら……と気にかかることは多い。

こう記している今、僕は実家に身を寄せている。幸運なことに、電気、水道、電波も生きているし、食料もある。だから割に呑気にやっているのだけど、今後のことを考えると暗い気持ちになるのも事実だ。

派遣社員として登録はしているが、面接を控えていたところに地震が来た。その後派遣会社とは連絡を取っていないので、今後の仕事がどうなるかはわからない。元々、病気をしていたこともあって貯蓄も底を尽いていた。これから稼いで行かねばと思っていたところに、これだ。

余震と見られる揺れは今も続いていて、時にはドカンと大きく跳ねるような揺れがくることもある。やることがないので寝っ転がっていると、揺れているような感覚もある。それが本物かわからなくなってきている。

良いことと言えば、久しぶりに実家暮らしをして「やはり合わないな」との思いを得たこと、自分の書斎に再会できたこと、星が綺麗なこと、働けないのなら寝ているしかなく、抑うつも治るのでは、と思えることだ。全て刹那的なことであり、将来性のある発想ではない。

今回のことを通じて、電力の安定性とか災害用キットの重要性とか、その他様々なことを考えるに至った。今後気にかけていかなれけばならないことは多い。中でも、次のことは面白い。こういう災害的事象をネタに政治を語る流れというのは以前からあるが、これって当事者からすると気持ち良いものじゃないのだな、と気づいた点だ。別に、政治を語る人たちも、災害を受けたひとたちを気持ちよくさせようとして語っているわけでもないだろうし、僕もそう深く考えるようなことでもないのだろうが、なんだろう、距離を感じずにはいられない。

元々、僕は津軽海峡の絶対性のようなものを考えていた人間なので、今回の件はその着想をより強固にするものとして現れているにすぎないとも言える。北海道と本州を隔てているあの海峡は、多分両方を異国化しているんじゃないかと思える。この考え自体は、3.11のときも思ったことだが、同じ国の中のできごとなのに、遠い国の話のように聞こえるのだ。

一方で、全道的な停電の際には、他府県からの電力融通があったそうなので、こういう実際になされた協力関係や支援を知ることで、僕のこの小さなイメージは改善されるかもしれない。そうあることを祈る。

ていうか、早く自分の部屋に帰りたい。仕事がしたい。この街で仕事を見つけるのは大変なんだけどさ。