Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

異種間コミュニケーションについて

Netflixでは、『小林さんちのメイドラゴン』と『亜人ちゃんは語りたい』を見ることができる。これはすごい。どちらの作品も、人間とそうでない種族の交流を描いているが、特筆すべきはその丁寧さにある。

種族が違う故の葛藤や寿命の違いから来る将来への不安、いつか来る別れの予感というものから目を背けることなく、そういうテーマに対峙していくのだが、この仕方がとても良い。
「終わりがあるから美しい」というセンチメンタリズムに終わるのではなく、「終わりがあるとしても、今を大事にして生きていこう」とする、したたかさのようなものがある。

空から降ってくるような奇跡でもって種族差を乗り越えるのではなく、あくまでも等身大の人格として相手を尊重し、並んで歩いていくという姿勢――ここには相手に対する思いやりがあるし、ひとっ飛びにそのギャップを乗り越えるのではなく、むしろそんなことは不可能だからこそ、結果的に共存ができている。

やがて来る別れの日に対峙できるとすれば、それは何者かに与えられる特別な奇跡などではなく、日常を継続することによってなのだ。しかしながら、「それがやがて、かけがえのないものになる」というような、未来における総括を見込んでもいるわけでもない。未来において今の日常を総括すること、ないしはそれを期待することは、今過ごしている日々の価値を損なうことである。あくまで視点は、今ここの日常にある。

全然伝わらないと思うけど、この二本のアニメ、すごく「日常アニメ」だと思うんだよな。