Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

スターウォーズについての所感

スターウォーズとはじめて出会ったのは、小学三年か四年の頃で、熱が出て学校を休んだ日のことだった。テレビでやっていたものを誰かが録画していたらしく、母がベータのカセットをビデオデッキに入れて見せてくれたのを覚えている。思えば、あれが僕と映画の始めての遭遇だった。(ゴジラが先かも知れない。父に連れられて映画館に行ったのを覚えている)。ともかく、具合が悪いのを忘れて没頭したスターウォーズという作品は、それ以来、僕にとって大事なものになった。

それから数年経って、あるいは十年ほど経って、エピソード1が公開された。小樽の商店街にまだ映画館のあった頃の話だから、かなり昔のことだ。これも両親と観に行ったが、予告編の間にトイレに行って、戻った時にはすでに映画がはじまっていたことを思い出す。アナキン・スカイウォーカーの幼い頃の話だったが、当時の僕は彼の行く末を案じることはなく、ただただ溢れる才能とかダースモールの恐ろしさに振り回されていた。

その後、エピソード2と3が公開されるまでの間、実際にはそれらが公開された後も、僕はエピソード4から6、1を繰り返し繰り返し観ていた。その間に、エピソード6の最後に出てくる霊体は、クリスチャン・ショウからヘイデン・クリステンセンに代わり、ジャバ・ザ・ハットは次第にリアルさを増していった。ライトサーベルがいつからライトセーバーに変わったのかは覚えていない。それでも、宇宙を股にかける冒険の魅力は、ずっと僕を離さなかった。

スターウォーズのエピソード7が公開されたのは、2015年の12月だ。

この年はお祭り騒ぎのような年で、一世を風靡した作品の続編が続けて公開されるという年だった。
中でも僕を虜にしたのは、ジュラシックワールドだったが、僕はそれまでジュラシックシリーズを一度も見たことがなかったにも関わらず、これに熱狂し、過去の作品も何度か繰り返し見たほどだった。
そんな年の最後を飾ったのが、スターウォーズの最新作。幼い頃からのヒーロー、ルークやハン・ソロにまた会える。今度はリアルタイムで、劇場で、実際に見ることができるわけだ。当時熱狂した人たちと同じような興奮をまた味わうことができる――そう考えると、胸が高鳴った。

ここで、ひとつ断りを入れておくけれど、そこに至るまでの間、僕の映画観というか鑑賞態度はかなり大きく変わっていた。
歳を経るにしたがって、僕は映画を(悪い意味で)批判的に見ることが増えていた。期待を裏切られれば嫌悪を感じ、主義趣向に合わなければボロクソに言うようになっていた。それでも、たとえば、自分の中になんらかの確固たる信仰のようなものがあったなら、それはまだ幾分の説得力を持っていたのかもしれない。狭量であることには変わりないにしろ、突き抜けた主張として所持できるなら、それはそれでひとつの在り方なのだ。
ところが、僕はこと思想においても物持ちが悪く、自分の在り方についても不安定だった。
そして結局のところ、そのテンションに疲れてしまい、僕は主義趣向を捨てた。

事件として提出するなら、それはひとえにモササウルスのせいだった。
恐竜たちによって、僕の中の凝り固まった鑑賞態度は破壊されてしまったのだ。

いや、正確には、それ以前から、この鑑賞態度はほころびを見せ始めていたのかもしれない。悪いところを探すのではなく、良いところを探すように見ること。自分が面白いと感じたり、クスッときたポイントに集中すること――それは、自分の批判能力を諦めることでもあったが、かえってリラックスして映画を見ることができるようになった。大抵の映画を面白く感じるようになったし、何より「これはこういう風に評価されるだろう」と(実態のない)他者の思考をなぞるように見ることを辞めることで、自分自身の感性に向き合えるようになった。
そして、この態度に決定的な是を与えたのが、モササウルスだった。

IMAX 3Dで観るあの圧倒的な巨大さを受け入れるには、「映画かくあるべし」に代表されるような、あらゆる尺度は小さすぎた。僕がそれまで用意していた基準は粉微塵になって吹っ飛んだ。その経験が眩しくて、僕は何度も劇場に足を運び、レンタルをして追体験したほどだ。

話をスターウォーズに戻すと、エピソード7を観にいったときの僕は、モササウルスによって心を更地にされた状態だった。だから、正直言って、"A long time ago in a galaxy far, far away...."が表示された時点で満点だったし、懐かしのテーマ曲がかかった時点で極点を迎えていた。あのミレニアム・ファルコン号がまた空を飛んでいるのを観ることができただけで、生きていて良かったと思った。他のことはあまりよく覚えていない1

そんなわけで、僕の中ではエピソード7の評価はかなり高かった(というか、良いところに集中しなければ、辛いこともそれなりにあったので、耐えきれなかったという部分もあるかもしれない)。
エピソード8も同じように高評価しているが、こっちには正直言って、7に輪をかけて複雑な気持ちもある。
熱狂はした。映像と物語、音楽に心を振り回されもした。それは最高の経験だった。

けれども、どこか後を引くような、立ち戻って考えてしまうような、消化不良な部分もあり、それは否定こそしないけれど手放しで喜べもしない難しい部分でもあるのだ。時の流れの残酷さを感じる。

どちらも、旧三部作が全てだった時代に様々に妄想して楽しんでいた世界、シチュエーションが現実のものになっているという点で、見ているこちらを喜ばせてくれる。進化した映像技術を駆使して作られた想像力の世界を体験することができるというのは、他にはない経験だ。

友人の中には、あれは見ていて悲しかったとはっきり言う者もいる2
個人の感覚だからとやかく言うつもりもないが、僕の中に「確かに」と思う部分があるのも本当だ。
僕はまだ、スターウォーズのエピソード7と8に、真っ正面から向き合えずにいる。もうしばらく時が必要なのかもしれない。だから多分、今後も繰り返し繰り返し、全エピソードを見直していくんだと思う。ヒーローの不在と、新たなヒーローの誕生に向き合うために。


  1. 書いていてだんだん思い出してきたけど、ブラスターの威力や低音、X-ウィングの超絶技巧、老いて冷静さを身につけたのか百発百中のハン・ソロを観てるだけでもう僕は満足でしたね。若い頃のシニカルかと思いきや心に熱さがあって、ノリノリになったかと思いきや裏目に出るハンは最高でしたけど、まあこれはこれで……2倍楽しめる。フィルムは残るってのはほんど味わいが増えていくってことだから……。

  2. そんな彼が絶賛するのは、『スターウォーズ/ ローグワン』なわけだが、これも確かにそうなのだ。エピソード3と4を繋ぐ物語で、基本的にはフォースもジェダイも出てこない(あくまでも"基本的に"だ)。それどころか、誰もが知るテーマ曲もなくヌルって話がはじまって、通常人のスケールで話が進行する。しかし見ているうちに、終わりのはじまりを肌で感じはじめ、そしてあの絶望的なパワーの前に畏怖することになる。ひょっとしたら、恐怖で感動したのはこれがはじめてかもしれない。