Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

自分のブラック体質について

「仕事が楽しいので気がついたら残業をしていました。ていうか今の仕事だったんですか?」こう言いたいものである。実際は、一度に四種類ほどの作業を同時にやらねばならず、わたわたしているうちに時間が過ぎる。周りの人々が基本的に二種類の仕事をやっているところ、僕は四種類やっているのだから、これはもう200%働いているということになる。是非ともなってくれ。しかしながら給料はさして変わらない。周りより低いかもしれない。なんだそれ。

ブラック体質、という言葉が自分を捉えて離さない。この言葉の類義語には、おそらく真面目とか容量の悪い、などの形容詞が入ってくると思う。ひととして正しいことはしていると思う。目の前の仕事を一生懸命にやり、絶望的に足りない思考時間の中で作品を作り上げる。「早くしてください」「まだですか」「こっちもやって!」そういう言葉に「無理です!」と言い返すリソースは僕の脳にない。それくらい慌てている。これはもともとの落ち着きの有無とはだいぶ離れた慌て方だと思う。

英語が取り柄と言いながら、あまり英語の仕事が多いと「自分でやれ」と思うシーンも増えてくる。英語の仕事に重きを置いて取り組めるなら良い。でも実際には違う。英語の仕事は、全体の10パーセントにも満たないし、そんなことに(と卑下が働く)時間を裂くくらいなら、母語の仕事を次々こなしていった方がいい――みんなそう考えている。その皺寄せが、僕に来る。

英語ができるできないの1つの指標は、グーグル翻訳の返してくる結果を見て「この単語は意図したところではないな」と気づける部分にあると思っている。グーグル翻訳で意図を正確に反映させたいなら、グーグル翻訳っぽい日本語で文章を提出してきてくれないと困る。これは、グーグル翻訳を使わず、各言語の混沌としているクラウド上で処理するときにも同じことが言える。依頼される日本語の文章を見る度、マジで頭抱えるよ。「え、そもそもこの日本語を日本人に見せてOK取れると思ってんの?」。主語がない、説明が足りない、ビジネス的冗長性だけがあり、肝心の内容に乏しい……せめてまともな日本語を書いてくれ。俺たちは仕事をやっているんだぞ。