Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

この数年間、どこに消えたんだよ

 今までTOEICスコア860点と言っていましたが、あれはもう過去の話です。帰ってきました、240回。結果は720点。吐いた(過剰な表現)。

 自分のTOEICスコアが、心の安定の材料になっていた部分がある。英語に力を入れてやってきていたし、それだけを自分の武器だと信じて進んできた――とは、実際には、そこまでも突き抜けられない。英文学を修めるとか、貿易系に入るとかをやってこなかった。もちろん、そういう使い方が全てじゃないと思う。逆に自分が英語に何を求めているか、となると、これも真剣に考えてこなかった。

 なんのためにTOEICスコアを得るのか。留学してみたかったからで、それにはある程度の点数が必要で、あとは調子に乗っていたかったからだ。自分には才能があるんだと。あとは精神の不安定な時期に(それは気候とかホルモンバランスとかに由来するよくある事象だ)、没頭できる何かがあると、バランスをとることができたからだ。

 スコアの低下は、冷静に見れば「さもありなん」な事態だ。最高点数を取ったのはもう五年くらい前の話で、その点数だって一発で取れたわけじゃなかった。何度も試験を受けて、その度に課題を見つけて対策を講じて、それでやっと獲得した点数だった。そういう努力を放棄して、数年が経過している。英語を使うシーンは激減し、そのことに危機感を覚えなくもなってきている。もともとTOEICの点数を取るためにやってきた英語だ。受験しなければ衰えるのは、筋肉だって同じことだ。そう、これ筋肉の話なんです。

 TOEICスコアは、僕という存在を構築していた大事な要素だった。そこに至るまでの履歴があって、それでやっと漕ぎつけた成果だった。そういうものが失われたように感じた。それがショックなんだよな。日常生活で不便はない。仕事で英語を使うことはあるが、それに適応した知識を身につけるようにはしているから、これも不便は感じない。でもそういうことじゃなかったんだよな。だましだまし、という感覚が拭えない。衰えている。

 そりゃ生きてりゃかつての自分より劣化することもあるだろうし、現に今回のケースは原因も明らかで、因果応報という他ないし、それが分かれば、次にどうしていくか、自分がどうなりたいかを考えれば良いのだから、悪いことばかりではない。納得できるか? ちょっとな……。

 でも実際、実行していけるか? っていうと甚だ疑問。毎日仕事がある。フランス語もやらなきゃいけない。小説だって進めたいし、他にも色々学習したいことがある。どれから手をつければ良い? 優先順位をどうすればいいんだろう……何かを選ばなきゃならないのか? これが辛い。TOEICスコアは、選択から解放してくれていたのだ。なぜならそれは基盤だったから。全てのものが積み上げられるものだと思っていた。維持する努力を放棄すれば、失われるものもあるんだな。考えればわかってもよかったのに、英語だけは違うと思ってた。なんだったんだろうな、この妄信。

 英語が使えれば、日常の楽しみは増す。映画は字幕なしでもだいたいわかるから、役者の顔を見ることもできる。字幕に書かれていない情報とかニュアンスがわかることもある。自分の知りたい情報をネットで調べるとき、日本語だけでなく世界中の情報に目を向けることができる。ありとあらゆることについて、解像度が上がる。そうして考えてみると、やってきたことは無駄じゃない。無駄じゃないはずなんだ。

 とはいえ瓦解した自己肯定感をどうやって積み上げていく。選んで別の苗を育てていくべきなのか。俺はどこに進めばいいんだろうな。