Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

異世界ものの現象学、しかして僕はそうは生きられない

メモ程度だと思って欲しい。

異世界ものはなぜ異世界と銘打たれるのか、という点をずっと考えている。異世界転生という事態は何を前の世界においてきたのか、と考えてみると、いくつかの考えが得られる。それは今の世界の歴史であったり、毎日の繰り返しであったり、型の決まった理不尽である。では逆に転生した先の異世界では、何が過剰に演出されているか。たとえば、僕らのいるこの世界の型から溢れた形の理不尽であったり、倫理観の変容であったり、異なる技術の体系だったりする。では最後に、この世界から異世界に持ち越されたものは何か、ひとの魂である。これは公約数的な話なんだけど、世界が異なれど、ひとの善性は(ということは悪性も)、共通認識として了解しうる。というか、公約数として働くような善性が慎重に選ばれる。それは剣や魔法や不思議な生き物などを演出装置として、過剰なまでに表現されうる。彼ら彼女らの生きていただろう現代的な社会では発揮されなかった、あるいは発揮しにくかった魂が、異世界であれば発揮できる。そういう部分に心惹かれているんだと思う。

外国のことを考える。僕はヨーロッパにしか行ったことがないので、想定されるのは常に西側のヨーロッパだ。細かなところで違いはある――それを細かな、という程度に雑な話をしている――生活様式は異なっているし、時間に対する意識も違う。倫理観も多少異なっている。けれども、肝心なところとして、同じ惑星を共有している人間だ、という大カテゴリは適応されるんじゃないかと思う。肌感覚で言えば、言語や文化習俗が異なっているからはそこはこの日本と異なるわけで、札幌に長く住む僕にとって、あの街々は一種の異世界だったとも言える。けれども、結局のところ、同じ世界が展開していた。

この部分、実はかなり僕の心理的な問題と関わっていると思う。あるいはもっと広範に、心と体と世界の噛み合わせの問題でもあった。あの時の僕は、それでもシステムから外れて空転している歯車のようだった。自己と世界を噛み合わせるものは、魂の発現なんだけど、それが損なわれていたように思えてならない。僕は主人公になれなかった――ひとは誰しも己の主観世界の主人格であるにも関わらず、だ。Ichと僕が記すとき、それはすでに過去としてノートの上に残る。それがどうしようもなく、Erに聞こえて仕方なかった。僕は彼であった。

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そろそろ今の仕事に就いてから一年が経過する。労働とは社会の歯車になることだと思っていたが、それは一つの解釈で、内省的になる時間を前もって潰しておき、代わりに生活費が得られるという点で、精神面での健康を確保できる部分もある。もっとも、こういう風に思えない仕事もあることは、前職でいやというほど知ったが、あまり思い出したくないので割愛する。メモなので。

言いたいポイントとしては、これだって異なる世界観に参加するという意味では異世界的ではないか、というところ。ただし、やはりそれにしても、労働以前の自分とは地続きな部分が大きいから、あんまり「異世界」って感じもしない。当然、魂の発露は望めない。

留学経験と労働経験を重ねて公約数を探すとき、そもそも魂の発現で世界を回すとはどういうことか、という疑問に行きつく。自己を表現することのできる舞台はどこにあるんだろう。そもそも何が駆動してはじめて、「よし、魂はドライブしているな」と判断ができるのだろうか。

僕がプロローグを書く時、僕は自分の魂がドライブしていると強く感じる。それは普段使わない語と語を並列し、イメージを衝突させて、新しいイメージを生み出すことができるからだ。その予期せぬ混淆、その状態にエネルギーを感じる。

ただしそのエネルギーが僕なのかというと、それはまたちょっと違うと思う。その発想は、自己を装置として規定することに他ならない。何らかのエネルギーを生み出すことのできる機関。自己を現象として呼ぶことはできるかもしれないし、星でも見てると思って楽しんでくれ、とは言えるとしてもだ、俺は絵じゃなくて人なんだぞ、という意識がどこかにある。このあたり、チューリングテストみたいな話ですね。

僕が異世界ものを書けない理由は、このあたりにある。僕はきっと異世界では生きられないからだ。今いるこの世界でも生きられているかというと微妙な話だから、ここは省く。異世界ものを駆動する魂に欠けている。そもそも生きるってなんだ。

この問題を回避するためには、三人称を書かなければならない。僕ではない、生きている誰かを描くこと。採用されるのは一人称だが、これは感情性のレンズを通して、世界を描出するためには容易だからだ。僕は自分を忘れたくて物語を書くのであって、だからこそ一人称を採用することが多い。僕の一人称はIch性を欠いていて、どちらかというとErないしSieとして機能するのだから。