Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

テーマのない日記

 最近は仕事が忙しいのと、小説を書くのが楽しいので、なかなかブログを書く機会がない。「書かなければならない」という気持ちが必要だった時期もあったんだけど(ちょうど去年の今頃だ)、今はそういうものがなくてもやっていけている。

 ついついソシャゲをやりすぎてしまって、短くなる睡眠時間と、それによる疲れの中で出社し、なんとか仕事を終えて、帰ったらもうぐったりしている。そういう限界にもいくらか余裕が出てきたあたり、成長したか慣れてきたんだと思う。帰宅したあとにダラダラとご飯を食べながら、Netflixを見ることができている。あともう少しで、帰ってから勉強ができたり、小説を書いたりできるかもしれない。

 給料が上がらないので、去年に比べて生活は向上していない。けれども、だいぶ心の使い方が上手になった。
 業務が終わってビルを出れば、仕事のことはすっかり忘れる。
 このままで良いのか、とか、趣味の時間が、とか、留学したいのに、とかの気持ちはまだ残っているが、明日も仕事がある状況では保留にしておける。
 それまでは、様々な想念が混在していて、時に化学変化を起こし、膨らむ内圧に苦しんだりしていたんだけど、どうやら個々の想念を区分けして、それぞれ対処することができるようになっている。
 これは大きな進歩かもしれない。
 その分、日々の危機感が薄れているので、人生が進展しないまま経過する。踏ん切りも当然つかず、茫っとして漠なまま過ごしている。

 ぼくに与えられた1日の長さが増減しているわけではない。給与も上がらん。語学やプログラム系の学習が進んでいるわけでもない。むしろこの辺り、低下している。低下してそのままならまだしも、おそらく日々劣化していっている。
 このままだと、一体全体、俺は何を求めて何をしたかったんだ? ということになりかねない。
 このテーゼに落ち込むことなく立ち向かうのが、困難だが必須の課題だ。絶対に落ち込みたくないでござる。落ち込むのは疲れる。とても疲れる。もうあんな時代は経験したくない。

 金があれば解決する。宝くじよ、当たれ。
「お金じゃないんだよ。お金があってもサ、心が貧しくっちゃあね」って言えるくらいにはお金が欲しい(多分絶対言わない)。
 欲しいよねぇ。

 お金があると、いろんなものが買える。
 本に本にお酒に機材に、学習機会とか年中安定した室温も買えるかもしれない。家族や友人の誕生日にちょっとしたプレゼントを送ることができる。それって素晴らしいことですよ。好きなことができる。
 けれども、そのためには働かなければならない。働かない以外にお金を得る方法がピンと来ないだけだけど。
 ところが、そんなに良い仕事ってのが見つからない。スキルが突き抜けないというのもある。ぼくの側が選り好みしているからってのもある。
 「固定残業制、月40時間分の残業代が基本給に含まれます!」みたいな求人に「乗った!」とは言えないぞ。月の就業日が20日程度だとしても、2時間の残業は見込まれてんじゃん。それって1日11時間拘束ってことですよ。死んでしまいます。