Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

体調管理の話

体調管理、難しくない? 難しいですよ。それほど簡単なものじゃない、と思います。

たとえば、1日1錠飲めば健康が維持できるタブレットがあるとする。それは人間として生まれたら必ず支給されるものとする。これをある日飲まなかったことで、体調を崩し、頭痛がひどくて実存がやばいってなって、会社に休みますと連絡するなら、それはキミ体調管理ちゃんくらいちゃんとしなよって言えるかもしれない。

ただ問題は人間というシステム、それほど単純なものではないのだな。体調管理とやらはとても複雑な技能の上に成り立っている。栄養バランス、適度な運動と十分な休息、依存症の類がないこと、強靭な精神、上位存在による被・寵愛感、幸運、経済……いくらでも要素はつぎ込める。何かしらは常に欠けているだろうし、これは「欲望」という言葉が形になる以前の問題だ。欲望を捨ててもビタミンは補われない。というか、節制とはなんらかの過剰を前提とする言葉であって、砂漠で断水することをそうとは言わない。

十分な賃金を与えているか、という話になる。少なくとも栄養バランスを整えることができるほどの経済力があるか。無駄遣いをしているからそれができないんだよ、という主張は一理ある。一理しかない。人間はパンのみに生きるにあらざれば、精神的栄養を補給するためにその出費は不可欠だったと考える。言い訳と言われても仕方がない。返金ができない以上、払ってしまったものが自身を構成するのだな。これは脂肪に似ている。どちらにしても何かが不足するのだ。偏りは常にある。これからも起こりうる。

頭痛持ちで苦しむことの多い人間をして、体調管理ができていないと言うとき、前提にあるのは「私は頭痛持ちではないゆえに」だ。人種や性別などと違って、頭痛持ち、眼精疲労、考えすぎなどは多様性として認められていない。そういう様々な偏りを平準化して、「これくらいはできるよね」とどうにか言う方法として、「十分な賃金を与える」というのが一つ上げられる。さすがにこれだけお金を与えているんだから、みんな栄養バランスをは取れるでしょ、というのがね。

体調管理ができるほどの収入ではなく、体調を崩しても働きにいかなければならない。自宅で療養できるのは金持ちだけだ。無理して働くと危険だが、休んで寝てると収入がないからこれも危険だ。どちらにしても危険なら、来月生き残る可能性に賭けて、今日は無理して出かけた方が良い。良いというか、結局のところどちらも変わらないのだ。社会に害をなしたくない、というプライドが働けば幸いである。頼むから働いてくれよ、と自分にも思う。でもそもそもその社会とやらは、果たして自分を助けてくれたのか? 助けてくれるのか? と考えてみると、これは多分ないんだよな。 「クビになろうが、今日は辛いから休む」「嫌な予感がする」「体調が良くなったらやり直そう」、と考えることができれば、きっと良いんだけど、はたして。