書籍版の「このすば」が完結しました。
書籍版の「このすば」が完結した。
お疲れ様でした。そして、何よりありがとうございました。
もともとは小説家になろうで連載されていたというから、完結するのはこれで2度目なんだろう。
スピンオフの方もあるし、書籍版で数えると三分の一くらいまでしかアニメ化していなかったはずなので、まだ待てる。スマホのゲームも来ているし、おそらく今後も読み直すだろうし、見直すだろうし、永遠の別れということにはならないんだけど、それでもちょっとだけ寂しさがある。
ぼくは彼らの世界を少しだけ覗いていただけなので、どちらかの世界が終わるということもきっとなく、今後もこんな感じで続いていくのだろうと思えることは幸せだ。
このすばとの個人的な関係について
アニメから入って好きになり、Netflixでの周回を経て、劇場版を待ちわび、それに合わせて書籍版をKindleで集めるに至る。
ところでこのKidleというやつは大変便利で、書店に行って「揃っていない」ということもなく、読みたいだけ既刊を手にすることができる。iPhone版アプリがあればそれで読めるし、なんならデスクトップでも読むことができる。 ライトノベルの欠かせない要素に魅力的な挿絵があるが、それだって拡大縮小も思いのままだ。
あと、助かるのが時差を気にしなくてよいところ。北海道は発売日から2営業日遅れて店頭に並ぶはずだが、配信されるならそんなことは関係ない。本当に良い時代になったものだ。
アニメ版のこのすばの話になるけれど、この作品と出会ったのは、ぼくが数年のニート生活を経て、ようやく1社目で勤めはじめた頃だったと思う。毎日この作品を見ながら、そうめんにツナ缶と三杯酢のもずく、黒胡椒を振るというよくわからないものを食べながら、異世界でしたたかに生きていく登場人物たちの姿に、辛い現実を逃避していたものだった。
作品の魅力について
この作品の魅力の一つはここにある。主人公にしても、魔王討伐という宿命はあるにはあるのだが、主に対処しなければならない問題は日常生活の方だ。莫大な借金であったり、一癖も二癖もある仲間たちの扱いだったり、自らが招いたトラブルだったり。
ここで特筆すべきは、発揮される感情が個人的な「あるある」的なスケールから離れない、という点だ。
復讐の鬼として戦う主人公を想定してみよう。彼にはある辛い過去があり、そのために復讐の鬼になった。ふつうの人生はもはや送ることができなくなっている。もちろん、普通の人生とはなんだ、というのは一つのテーマになりうるが、ここでは彼のその生き方を「持ちうる時間の全てを復讐のために費やす」という風にしておこう。
そんな集中力は常人のものじゃないし、偏執狂的だ。そしてそれは、想像を試すことはできても、きっと追いつけない位置にある。
彼はもう日常から切り離された別の圏域に生きている。
ある事件を元に、彼は、復讐の論理が主軸となる別の世界観に移行したわけだ。
復讐は人間的な行動だ、というとそれっぽく聞こえるが、他の動物についてぼくは知らないので、少なくとも人間は宗教を求めた、併記するに留めようと思う。
この架空の復讐鬼が発揮するほとんどの感情は、ぼくの普段の生活からはかけ離れているわけだが、それを実際にリアルと感じるかどうかは感受性がどこまで発揮できるかによる。彼の生きる世界観のどこまでを見渡せて、繋がりを把握できるかにかかってくる。体調がよほど優れていないと、ピントの合わない像を長時間凝視するように、疲弊することになる。
一方で、「このすば」という作品は、感情が近い。
近いというか、地続きなのだ。
大きなカエルに食べられるのは嫌、という経験に対して、「そりゃそうだよね」となる。莫大な借金がある、大活躍したのに報われない、そりゃ納得いかないよな、となる。異世界でも思い通りにならないことって多いんだな、そうだよな、人生とはそうなんだろうな、となる。
でも、気心知れた仲間で食べるものは美味しいし、知らない街に旅行に行くのも心踊るし、一緒の生活も悪くないのだ。みんなでわいわいやって、たまには冒険に出かけたりするの存外楽しかったりした――そんなことある? あったんですよ。
あとね、登場人物がみんな愛おしい。さすがにこれだけ続くと互いの信頼も培われてくるし、影響を与えあって、変わってくる。欠点と思われたところが解消される、というのがよくある形なんだけど、変わらなかったところを見るに、それは欠点ではなかったのかもしれない。
カズマさんが愛されてるんだよな。
羨ましい限りですね。
特に好みの話
個人的に好きなのは15巻。特に笑った。14巻から続いているので、14巻からもう一度読んでください。
他の巻は可愛さに気が狂ったりしてたのでもう一度読み直さないとなと思っています。