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ブログをメモ帳と勘違いしている

『タイラー・レイク -命の帰還-』(2020年)

マイティ・ソー』などで有名なクリス・ヘムズワース主演の大迫力アクション映画。Netflixオリジナル作品。製作にルッソ兄弟が加わっており、監督がMCUのスタントコーディネーターを務めたサム・ハーグレイブというひととのこと。この布陣で期待を集めたのか、一週間で9000万以上の視聴世帯数を記録したという(すごいことらしい)。

2020年4月24日より配信開始したばかりの『タイラー・レイク -命の奪還-』は、わずか1週間で9,000万回以上も視聴されている。この記録は、サンドラ・ブロック主演『バード・ボックス』(2018)の8,000万、ライアン・レイノルズ主演『6アンダーグラウンド』(2019)の8,300万を上回る 数字 だ。この歴史的な記録を受けて、クリスは自身の Instagram にて、ファンへの感謝を示している。 -> 『タイラー・レイク -命の奪還-』、Netflix史上最多の視聴世帯数を記録 ─ クリス・ヘムズワース、続編製作にも意欲 | THE RIVER

ここに並んでいる過去の作品『バード・ボックス』『6アンダーグラウンド』というのは、タイトルだけは知っている(Netflixを開くと上に予告編が流れていた気がする)が、ぼくは観ていない。観ていないからやっぱり「9000万以上の視聴世帯数」というのがわからない。

視聴世帯数とは、

特定エリア内の特定時間帯におけるテレビを見ている世帯の数。エリア内のテレビ所有世帯に対するテレビ視聴世帯の数で、世帯視聴率×エリア内テレビ所有世帯数で求める。関東地区の場合、世帯視聴率1%は16万3千世帯(’03年9月29日現在) 視聴世帯数とは何? Weblio辞書 とのこと。

映画であれば、「観客動員数」という言葉もよく目にする。観客動員数ってなんだ? 「興行収入」という言葉もよく見かける。「興行収入」ってなんだろう……物価の影響を受ける値なのか? そしてこのお金の面から見ようとすると、人数がわからなくなる(映画の代金って国によって違うだろうし……)。

興行収入とは、

映画産業で入場料の売り上げのこと。また、ある映画作品におけるその総額。興収。ボックス-オフィス。 -> 配給収入。(Weblio 三省堂大辞林第三版 より 興行収入(こうぎょうしゅうにゅう)とは何? Weblio辞書

あらすじ

主人公タイラー・レイクは傭兵。インドの麻薬王の息子が拉致され、その奪還を請け負う。救出自体は割とうまくいくも、チームに報酬は支払われない。そうこうしている間(先の見えない派手なアクション)に、軍に大きな影響力を持つ別の麻薬王によって、都市は封鎖されてしまう。救出への報酬は払われなかったのだから、少年を見捨てて逃げるのが賢い選択だ。しかしタイラーは「家に帰してやる」と約束する。

作品の魅力についてなど

 冒頭で「迫力のあるアクション」というようなことを書いたけど、アクション映画の魅力って、語るのが難しいなと改めて感じた。銃声、カーチェイス、格闘。そういうものに魅力を感じたとして、どう語れば良いのだろう。他の作品と比較して、ユニークなものを炙り出す、という思考実験をよくやるが、それにしたってアクションは難しい。
 少し前に『アウトロー』って映画があった。調べてみると2012年の作品。「工事現場で、乾いた銃声だけが聞こえるシーンがすごかった」とあれを一緒に見た友人は言っていた。ぼくにはよくわからなかった。スーパーパワーのある映画はいくつも見てきた。その魅力なら語れるか? 「落雷の音――ひとは本能的に雷に対して畏敬の念を感じるというが、それが今ソーという神話的存在を目にして理解に至った」とぼくなら言うかもしれない。だが、この作品にはスーパーパワーはない。あるのは強靭な肉体と銃、ナイフ、車。
 ある作品を語るときに、他の作品を比較に出すのは悪手だと思う。が、今回はそれをする。
 キアヌ・リーブス主演のアクション映画『ジョン・ウィック』シリーズのアクションはすごかった。素早く確実なガンアクションには、彼の経験と仕事に対する姿勢が表れていた。最低でも二発は入れる。時には姿勢を崩すために一発目を撃ち、そして二発目で命を奪う。弾が尽きれば、相手のを奪って同じことをする。そういう流れるようなアクションをもくもくとこなしていく職人芸みたいなところには感動を覚えた。
 あの作品のアクションはあまりに魅力的だったので、見ているこちらとしては欲がわく。「もっと見たい」、と。続編が出ているが、それでもまだ足りない。

 そんなあなたにオススメです、『タイラー・レイク』。あちらと違って、こちらはより泥臭い。スーツも着ない。砂埃が常に舞い上がっているような(演出をされる)、インドの風景に溶け込むような、兵士スタイルの格好をしている。殺し屋と傭兵の違いだろうか。砂埃に汚れ、血と煙に汚れ、確実に目の前の敵を始末していく。けれども、敵の波は途切れない。この街は封鎖されているのだし、彼は孤立無援だ。
 もともと、死を求めて危険な仕事の依頼を請け負った風でもある。それは度々チラつくある眩しい風景と重なる部分がある。それは映像として挟まれるだけで、見ているこちらには、タイラー自身にとってどんな意味を持つのかはわからない。彼に語ってもらうのを待つしかない。
   オヴィ少年との出会いが、タイラーを変えたのかどうかはわからない。オヴィ少年自身はどうだ? 仮に何らかの変化があったからと言って、それば名作ってことにはならないんだけど。二人が話すシーンで、ぼくらはそれぞれの過去を知ることになる。感じ方もそこでわかる。映画の作りとして丁寧だなって思ったのは、その感じ方はすでに明示されていたところ(タイラーの川の底から水面を見上げるシーン、オヴィの豪邸の端でひとり寂しくピアノを弾いているシーン)。これで彼らに対する思い入れは強くなるし、生き残ってほしいとも思う――これは強い感情だ。しかし、粘つきがない。こういう風に生きるべきだ、とか、大切なものはなんだとか、そういう説教くさいところがない。……なかったな。見やすいな。

 創作をしていると「この作品のテーマはなんですか?」みたいなことを聞かれることがある。ぼくの場合は小説を書いているので、「どんな話を書いてるの?」という質問がくる。テーマに限定された質問ではないんだろうけど、難しい質問だ(個人的には、それを探して文字を並べているだけで、回答を求めているわけではない)。創作系の本を読んだりすると、「登場人物が何を失い、何を得たかを書きましょう」みたいに書かれていることもある。失ったものなら書けそうだ。しかし得るものとなると、これもまた難しい。もっとも、失ったものを得たり、失っていたと思われたものを再発見したり、既存の価値観が更新されたりすると終わりやすい、というのはある。
 でもこの作品からは「必ずしもそんなことをしなくても良いんだ」との学びを得ましたね。

 オヴィ少年の表情をみてくれ。彼が何を考えていたのでしょうか、って設問があったらすごく難しいと思う。言葉にできそうにないんですよ、そこにとても敗北感というか、映像はズルいなぁ、と思う。いろんな解釈ができるだろうが、そうやって解釈すると何か撮り逃してしまう気がする。いやあれほど情感の多い表情ってなんなんだ……。

 この映画は派手なアクションが特色の映画です。ノンバーバルなもの。そしてその中には、表情も含まれています。