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『青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない』(2018年のアニメ)が面白かった。【改稿ver.2】

dアニメストアで、『青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない』第一期を見た。原作は未読。是非読んでみたいと思う。

アニメ「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない/青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」新作アニメーション制作決定! https://ao-buta.com/ https://ao-buta.com/

新作来るのか……。12/2には、ABEMAで一挙放送があるらしいので、この機会に是非見てみてほしい。

青春ブタ野郎」シリーズ | 電撃文庫・電撃の新文芸公式サイト https://dengekibunko.jp/special/aobuta/

初手からあえて似たものを探し出すとすれば、俺ガイルと物語シリーズハルヒを素材に作ったらこうなるか、という感じ。多分ならない。と言ってみたところで、こういうキャラクター設定と脚本の管理をして、話を上手くまとめ上げ、かつ次回へのクリフハンガーも用意するってのは、そう簡単じゃないでしょ。うーむ、あまりに鮮やかだと、逆に簡単なように見えちゃうんだよなあ(スローハンド現象)。面白かったですね。

キャラについて

みんな可愛い。パウンドケーキみたいな感じ。あるいはサラミ。コンパクトだが、肉が詰まっているので不足はない。過度に類型的ではなく、類型的な素質を秘めてはいるが、結構独立した面倒くさい一人間として成立している点が巧妙だなと感じた。

基本的には、問題が解決したあとのことは知らない――というか、過剰に恩義を感じたり、反発したり、遺恨を残したりってのがない。友人知人としての距離を適切に保ったまま話が進行している。これは個人的に新しかった点。大抵の場合は、スパロボ的、アベンジャーズ的な、それこそ寄せ書き展開になるんじゃないだろうか。少なくとも、アニメの時点ではそんなにならないんだよな。目の前のヒロインに集中できている。いやそうすべきなんですよ……彼女がいるなら、彼女の話をしなさい(物語シリーズの戦場ヶ原の出番が少なく感じたり、ハルヒが出ずっぱりでなかったりといった印象が強い。なお、再確認すると戦場ヶ原ひたぎについては、要所要所で閉めてくれる。涼宮ハルヒシリーズについては、もうこれ実は本命古泉くんじゃねぇの)。

特に気に入ったキャラについて

  • 古賀朋絵 -> 声のかわいすぎる後輩。目の前の問題を解消するための、即席な共犯関係。しかしその中で主人公の魅力に触れていき……という。そりゃ刺さる。この子メインの回の青春がうますぎる。古賀ちゃんの決意と能力も含めて、全部最高だった。
  • 双葉理央 -> デザインが良い、ジト目白衣最高、中身が良い、演技が良い。物語の基本フレームで役割が与えられている珍しい人物。主人公に、問題の解釈法を与える。彼女がいなかったら、この作品が青春 + SFものだって理解できなかったと思う。
  • 梓川かえで -> 妹キャラの妹。成長していくのは素晴らしいですよ。そう…この子の背景を考えるのであれば、確かにいろんな子と接してきたことが影響を与えてきたともできるわけで、「ひとりじゃない」の重みってのは1話段階では実現できなかったんだよな…。とすると、シリーズを続けてきた甲斐が合ったんじゃないかと思う。元から設定はあったとして、いつかは使おうと思っていたにしろ、何にもない状況で爆発させるわけにも当然いかず、積み上げおかないと炸裂できない。なるほどね。

話の構造について

基本的には、主人公の青年が、女の子たちの問題を解決していくという形式みたい。アニメ化されているのは、既刊11巻中の5巻までなので、概観を論じることは難しそう。

すでに、例外も見えているのだ。
たとえば、一巻(『青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない』)相当のエピソードでは、「”空気を読む”に対峙する」ってのが大きな枠組みとして求められる。
登場人物のひとりが勝手にそうしているのであれば、「逆張り」「斜に構えている」と矮小化してサラッと流すこともできる。心覚えあるでしょ、「ニヒルなおれかっこいい」って思った時代が……。

ところが、主人公 = 梓川咲太君はそれで終わらない。読むにしろ、読まないにしろ、空気なんて受け流してしまえば良いのに、必要であればしっかり対峙する。なんなら、空気の生産者であり、空気そのものでもあるっていう「その他大勢」の好きそうなアクションまで起こす。一種の道化を演じることを選ぶのだ。
梓川咲太くんはやっぱり主人公だなと思うのは、この点である。簡単にいってヒロイック。他人を助けるためには、自分の立場や身は捨てることができる。シニカルな部分もあるし、マゾヒスティックであるのは疑いないし、やれやれ系ではあるが、露悪的にはならない。

他の作品と比較することで、主人公の造り方が見えてくるだろうか? キョンくんは周りに誰もいないところでヒロインを救った(超能力者連中にはバレてたかもしれないし、統合情報思念体には自明だろうし……というのは残る)。阿良々木くんであれば、「そいつが勝手に助かるだけだよ」と言うのだろう。

こう並べてみると、梓川咲太くんに特異なのは、「空気という社会現象」を上手く利用した、という点にあるような気がする。彼らに共通しているところは、問題の構造解釈に推理力・論理力が働いているところなのだが、それを解決する(あるいは、〈思春期症候群〉というタームに則って、「治療する」と言い換えてもいいかもしれないが)際には、場の動的な仕組みを利用している。もっと簡単に言うと、第三者(青ブタの場合は、校内の生徒たち)とのコミュニケーションが発生しているのだ。

青ブタでは、問題を解決するために、自分の中で落とし前をつけるのみならず、第三者機関を利用して定義づけも済ませている。自分たちの住まう世界、環境を参照しているのだ。これは 阿良々木くんがあまりやらなかったことじゃないか(彼は、個人がどう思うかで問題を解決していることが多い気がする)。梓川咲太くんの方法は、「そこで生きていくんだ」という宣誓とも取れるわけで、これは結構社会的なんだよな。

そういう風に見てみると、全体的に、『青春ブタ野郎シリーズ』というのは、箱庭セラピー的な構造をしているような気がした。キャラクター同士の絶妙な距離の取り方は、それぞれの個性がある程度確立されていて、ソリッドでなければ達成できない。融和していて溶け合ってしまえば、他者の尊重なんてできないのだ。言われてみればその通りなんだけどさあ。よくやりますね。