Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

ダッチボーイって誰だよ

『銀のスケート―ハンス・ブリンカーの物語』を実際に読んでみた。読みながら気づいたが、多少なりとも英語ができるなら、グーテンベルク・プロジェクトで原文を読んでもよかったよな。

ことの発端

以前『ジオストーム』という映画の感想記事を書いた。その際、「堤防の穴に指を突っ込んで決壊を防いだオランダの少年」の元ネタを探そうとしたが、正確なところは分からなかった。メアリー・メイプス・ドッジというひとが「ハールレムの英雄」という話を書いてはいるが、この話のフィクション度合いが不明だったのだ。

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掲載されているのが『HANS BRINKER OR THE SILVER SKATES』であることは分かったし、その中の「Friends in Need」という章の中で、教材として用いられているらしいということも分かった。でも、じゃあそれって作中作品じゃない? という疑問が残っていた。

ちなみに、「Friends in Need」は「国を守る手」と訳されている。

本書について

あとがきに記載されている情報を簡単にまとめると、作者のM.M.ドッジは、祖先にオランダ人の血が流れており、またモトリというひとの『オランダ共和国のおこり』という本を読み、”子どもにオランダの歴史や地理を教えると同時に、家庭生活をおりこんだおもしろいお話をつくって聞かせはじめた”とのこと。当時のNYはまだニューアムステルダムと呼ばれていた。

オランダの少年少女が中心となって、オランダの歴史や地理が描かれている。読むと「オランダってこういう国なんだ」とイメージが湧く。ただし、やはり気をつけたいのは、そもそも舞台の時代が時代だし、国民性を語ることは難しいという点だ。この点が自分の中で壁になっていたんだよな。ぼくは国民性は幻想だと思っているので。一方で地理については信頼できる。これはぼくが変に歪んでいるのと、自分のオランダ経験と本書の内容が一致しなかったせいだ。一致を求めていたわけではないけど。

とはいえ、子ども達に自分のルーツのひとつである国の生活を教えるという目標から見れば、成功していると思う。少年少女は等身大で、かつ、どちらかといえば純真な方で、それぞれ正義らしきものを携えている。あなた達にもそういう血が流れているんだよ、と語られることを想像してみると、勇気づけられると思う。

舞台は基本的にオランダだが、「Friends in Need」の中では、少しの間イギリスに飛ぶ。その国語の授業の教材として出てくるのが、件の『ハールレムの英雄』という文章だ。この少年は、堤防に穴が開いているのを発見し、国や家族を守るために指で栓をする。オランダ人の国民性を表す話が、イギリスの教科書に載るというのが不思議。

同じ節で、場面は再びオランダに戻る。そこで登場人物のひとりが”オランダじゃ、この話を知らない子はひとりもいない”とも言うし、

「……オランダの政治に、名誉に、国民の安全に、小さな水もりでもあらわれたら、何万という手が、どんなぎせいをはらってでも、それを防ぐ覚悟があるんだよ」

とまで語られる。

かなりの水準で象徴化されているのが面白い。これ子どもが聞く分には誇らしくなって良いだろうし、カッコよさという点では話題にされる側も悪い気はしないと思うんだけど、事実の度合いはどれくらいなんだろう。

ナショナリズムの危険性というか、ステレオタイプが強要される危険性みたいなものは潜在的にあり、むしろそっちに身構えてしまいがちな身としては、「おまえもダムの穴に指突っ込めよ」と言われないかと怯えてしまいもする。当然ながら杞憂だ。英雄行為は自発的かつ率先してやるに限るんだが、そもそも英雄とやらになりたくないと来ている。おれはなんの話をしてるんだ。分からん。

まとめ

説話の構築による国民性の描写、という手法はなるほど面白いなと思った。たとえば異世界ファンタジーとかで使えるだろうし、手っ取り早くキャラの言動に一貫性を持たせることができるかもしれない。問題があるとすれば、説話の展開自体に紙面を割かれちゃって、見栄えの管理がむずかしそうなところか。

ただ、ちょっとどうなんだろうと思う点としては、外から国民性を構築することのフェアネスについてだ。「おれの会ってきたオランダ人はみんなこうだった」は、甘さがあるので逆に信頼できる。そうじゃないオランダ人もいるでしょ、と速やかに思えるので。ただし、主観を超えて作品として成立してしまうと、ちょっと扱いが困る。本作は好意的に描写しているのでまだセーフだと思うんだけど、構造的に危うくないか。

あるいは、この作品以前にオランダについての何らかのイメージがあり、それに対するカウンターとして書かれたという線も考えてはみた。しかしこの説を推す材料が全然ないし、探してもいないので、お蔵入り。

たとえばこれがオランダ発のお話で、オランダ人自身が「我々はこういう国民。この話は誇り」みたいに思っているのなら、それはそれでいいんだけど、ぼく自身、日本人だからって「日本人はこういう国民」みたいな意識も別にないので、どうなんだろうな。あんまりこの辺りの議論に興味が持てないので、じゃあなんなんだって話になる。おれは何をしているんだ。

もしこれ以上、現実度合い・フィクション度合いを調べるなら、オランダ、イギリス、アメリカの教科書をあたるなどすることになると思う。このノウハウ自体は欲しい。それか、像自体は現存するらしいので、ということは製作者、設置の経緯、ひょっとすると博物館とかもあるかもしれないので、そちらを見ていくべきか。ハールレムのサイトとか行けば……。

ちょっとした自由研究みたいになった。ちゃんと発端と議論と今後の展開が示せたので、まあいいでしょう。結論は出てないし、目標もないので全然ダメですね。

そんな感じです。