Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

寄り添うことは正しいか

相手に寄り添うこと、は正しいか。

 

社会よりはあなた側だが、あなたの代理人ではなく、決定し行動していくのはあなた自身である、というスタンスが望ましいのではないか。

 

これは尊重の話でもある。距離感の保ち方の話だ。

 

相互理解は必要でなく、今卓上に置かれたテーマ(表皮的な問題ではなく)、その製作背景を理解すること、相手に本心で語らせること、支援者が理解に向けて取り組む過程で、クライアントが自力で整理をつけ、その工程を検討し、必要なら再構築する様子を見届けることの方が必要なのではないか。

 

イメージとしては不死鳥だ。クライアントが納得行くまで(ひとつの基準として、社会に再挑戦しようと思えるまで)、その燃焼と誕生のサイクルに何度でも付き合ってやることが重要なのかもしれない。

 

この時、「共に燃えましょう」では話にならない。燃えて灰から生まれる様を見届ける者、目撃者、語って記す者が必要である。証言者が要る。

 

共に燃える者がいたとして、それはもはや他者ではなく、火の中で融解する二つ以上の身体は、ひとつの灰になる。これは望ましくない。いっそ暴力的で、自他境界を侵す者とも言えるかもしれない。

 

不審火を消す者としての社会と燃える者としてのクライアント、その間で再誕を記す者ーーこれが支援者としての立ち位置なのかな、とふと思った。

 

あるいはそういう精神性の機関(エンジン)を管理する者ということになるかもしれない。