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ブログをメモ帳と勘違いしている

PDCA、うごめく

PDCAサイクルという考え方は、物事を改善していくのに効果的な考え方だとされるけれども、そもそも「改善」をどう測るかという問題からはじめなければならず、マジでPDCAしていくならこれって結構大変だ。おそらく世の中の多くの物事は、貨幣価値に換算することができるので、この微分なり積分なりを通じて、PDCAサイクルもまた同じデカルト時空的なものに配置できるとは思う。ただし、ここに個々人の価値観を導入すると、意思の疎通は困難になる。右回りが正義の国と、左回りが正義の国があるだろうし、そもそも個々人の価値観が内包する変数とやらは多種多様なんだろうし。

PDCAが前向きに進んでいます、という主張はおそらくこのサイクルを回すハムスターの視点であって、車輪の左右に立つものからは、「時計周りに」とも「逆時計回り」とも表現しうる。しかもこれはごく単純な例でもこうであって、構造を繰り返して現実に近づければ、縦だの左だのと言わず、11次元に回転…カイテン…かいて……? PDCAがうごめいてしまう。

何をしてPと呼ぶか、という合意を、DとかCとかAのところにも打ち立てなければならない。あるいはノルマを設定して、そこに最高効率で到達することが、各人にとって一番利益のあるようにシステムを構築する必要がある。でも多分これは困難だ。そもそもノルマをクリアすれば良い、という前提があるなら、PDCAは必ずしも不可欠とはならない。一瞬でできちゃう人と、五百年かけてもちょっとしかできない人がいる。