Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

原稿が進まない

原稿が進まない。これには色々理由がある。今まで多くは、お金がなかったり、それゆえにカロリーが足りなかったり、というもので構成されていた。今月は異なる。面白いアニメがたくさんあり、面白いゲームがたくさんあった。時間がない。これは嬉しい悲鳴とも言える。無論、楽しいことばかりではなかった。出会いがあったからには、辛い別れがあり、守るべきもののために必死で生きる人々をみると、翻って自分はそのように生きられているかと問いが浮かぶ。そういう問いは、建設的な回答に至ることが希で、落とし所が見つかることも希少であり、何らかの前向きな行動となって出力されることなどほとんどない。今は蓄える時期とも言える。あるいは、こうして段落を改めないままに、つらつらと文章を書くことができているというだけで、ひとつの成果と言えるかもしれない。言ってみましょう。成果だぞ。

社会的な話をする。喫煙所は死んだ。もともと喫煙所というものは、ニコチン中毒者たちにとってはオアシスであり、店舗前に置かれた缶状の灰皿は、RPGゲームなどでいう、セーブポイントにも近い安心感を与える。そのような感想はあるが、一方で、喫煙文化に対する風辺りが強いことも認識しているし、そもそも僕は自分で吸うくせに、自分の髪や服に臭いがつくことを嫌うタイプだ。ではなぜ吸うか、それは著作をお読みください(まだ刊行されていない)。加えて昨今のある災禍を思えば、狭い空間に人がぎゅうぎゅう詰めになる、という事態が、公衆衛生に反していることもわかる。満員電車も禁止にすべきだろ、とかつての過激派たるぼくは言っただろう。単にリスクを減らしていこうという流れの中で、早めにドロップアウトした文化が喫煙所だったというだけの話だ。溢れた喫煙者はどこで煙を吸うのか、とても気になるところではある。ぼくは禁煙用のガムにした。

酒のことを考える。友人といく居酒屋のことを考える。全国的なチェーン店で供されるビールと名のつく飲み物は、はたして本当にビールなのかぼくは疑問を抱いてしまう。ビールらしきもので十分だ。それをガブガブと飲み干せば、人間が蘇る。過去の飲み会を振り返ったとき、そこには常に紫煙があった。タバコを辞めれば、舌が敏感になるという。その未來は果たして、今まで美味しい美味しいと感じていた、多幸感溢れる大雑把な味付けを楽しむことはできるのだろうか。酒に詳しいわけでもないが、飲めば美味しいのはわかる。泥酔するためだけに服用する度数高めのお酒類が、シラフではどうも飲めないときもあった。タバコがあるから飲めていたものも多い。禁煙に対する恐れとして、まずこれがある。孤独を満たすのに紫煙が必要だったのだから、仕事をしている間には、そんなものはいらない、とすればそうである。

最近恋した女の子の話をしていない。ちょっと衝撃が強すぎたのだな。であればその衝撃を物語の形に変えていかねばならん。小説、書きたいですね。

おしまい。