Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

小説をなぜ書きたいと僕は言い続けるのか

これは単純な疑問なんだけど、僕はなぜか小説を書くということに拘って生きている。
もう自分ではなぜこんなことに拘るのか、さっぱり思い出せない。

実のところ、何度も動機を思い出そうとして、その都度何らかの理由を発見してはいるが、それが維持できずに何年も経過している。最初にWordに文章を書いたのは小学生の頃だったはずだから、もう二十年以上は経過している。さてここに至るまで、一体何本の作品を完成させることができたか? 片手の指を何本も折っても不足しない。人生をこの手の上に纏めて計上したところで、そんなものだ。
はて、そんなものが僕の人生にとって一体どんな重要性を持つのか?

ひとえに、小説を書くことを捨てきれないのは、結局のところこの疑問に戻ってきてしまうのは、恐れからだ。今までの人生、小説を書きたいという気持ちを中心に過ごしてきた。今までの時間と金のほとんどを本に費やし、語学学習を続けてきたのも、親の脛をかじり散らかしたのも全てそのせいだ。僕という人間は、小説を書きたいという気持ちと共に生きてきた。しかし、それはあくまで気持ちであり、実際に成し遂げたことはない。ただ気持ちだけだ。

霊魂の存在を信じるか。超常現象的なものを信じるか。精神的なエネルギーが、形になる瞬間を見たことがあるか。僕にはない。小説を書きたい、という気持ちを、現実のものに、物質的なものに変換するためには、Howが必要とされる。具体的には、どのように。日々いくらの時間を費やして、どのように一から積み上げていくのか。そういう計画が多少なりとも必要だ。しかし、僕にはこの計画性がない。なぜか。

金と時間が必要だ。大義名分が必要だ。
もちろん、これは一般性を欠いたものだろう。小説を書くのに、金も時間もそれほど必要としない人間だっていると思う。僕は自分もそういう人間だと信じてきたのだが、その信仰はもはや崩れつつある。小説を書きたい、とうわ言のように繰り返すことはできる。しかし、これを形あるものに変えようとすると、それには多大なエネルギーが必要になってくるのだ。僕は自分がこんなに小説の書けない人間だと思っていなかった。もっと簡単に書き続けることができると思っていたし、できないのは単に、試験前に部屋の掃除をしてしまうように、自分の必要から逃げてしまう悪癖のせいだと思っていた。

しかし、それこそがこの僕の実態なのだった。

小説を書いていると、必ず邪魔が入る。
これは例えば、部屋の空気がムッとしていたり、タバコが切れたり、親からの電話連絡だったりする。この統一性のない列挙からもわかるだろうけど、その理由はなんだっていいのだ。なんだって理由になりうる。全てが僕の核を為す「小説を書きたい」という気持ちと、現実に出力される一文の間を引き裂きうる。神に啓示を受けたって忘れるような男だ。そして悪魔は囁かない。

自分でなんとかするしかない。

ここ一、二年間は、小説を書くために環境を整えようとしていた。そのために一人暮らしをはじめ、働き出した。一度は心を病んだが、今はメディカルとケミカルのサポートを経てまた働いている。辛うじて生きていただけの人間が、再び生活ができるのではないか、というところまで来ている。しかし、まだ夢は射程距離に入らず、むしろ日々非現実味を濃くしていく。僕はこのまま何もできないまま死んでいくのだろう、とすら思う。

小説を書き続けるのが苦手だ。しかし、ここをどうにかしなければならない。なぜなら、小説を書き続けることのできる自分というのが、1つの目標になっているからだ。誰かのために書き続けることができれば、それは素晴らしいことだと思う。しかし、そんなことは、今の僕には口が裂けても言えない。あくまで、この小説を書きたいという気持ちは主観的なものであり、自分勝手な、自己満足な動機だからだ。しかもおまけに、この動機が果たして自分のどの領野に必要とされているものなのか、当の自分にもさっぱりわかっていないときている。

遠い未来に、僕が小説を書き続けることのできる男になったとき、そしてその著したところを誰かが待ち望んでくれていたとき、願わくば僕が小説を書くことで小説を書くための金や時間を稼ぐことのできる、そういう経済輪廻に取り込まれることができたとき、この心の奥底で小さく蹲っている、あるいは単に淀んでいる自己が、循環するものとなったとき――そういう気の遠くなるほどの変数が辛うじて定数に変わったとき、僕は初めて「誰かのために書いている」と言う社会性を身に着けることができるのだと思う。

しかし、今はこの一歩が重い。自分が何を望んでいるのかもわからない。頂上はどこだ、見晴らしの良い場所はどこだ、と僕は探している。終わらない、水没した洞窟の中で、僕はずっと水面を探している。もうしばらく日の目は見ていない(生まれてこの方、一度だってそんなものを見たことがあったか)。