Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

織倉メモ

承認欲求から創作をする、ということについて考えみるの回。

  1. 承認欲求から創作をする、というのは別に悪いことじゃない。なんであれ創作することは尊いのだ、とまで振り切れはしないので、ちゃんと承認欲求と創作との関わりについて考えてみるのは価値がありそうだなって思う。

  2. 自分について考えてみる。承認を求めるのは辛いので辞めたか、あるいはそれを求める資格がないと感じて、自分から剥奪してしまった。無益とは思わないので、解脱とはまた違う。

  3. 個人的に望ましい展開について。承認欲求を取り戻し、それを創作意欲の足しにできるだろうか。欲求の使い方について。

  4. 承認欲求とは、個の社会に対する希求の現れのような気がする。実際に満たされるか、欲求は完結するかは二番目以降の話だが、まず求めることで関係性がはじまる。

  5. ところで、承認を得る/得ないの測りにかけられるのは、一体なんなのか。作品か、それを書いた自己なのか。作品=自己なのか。普段の自分とは異なる一面が承認を得たとして、これは変身願望に近いのでは。俳優の演じた役をもとに、俳優を評価できるか。パフォーマンスを評価することはできるかもしれない。

  6. 普段の自分とはかけ離れた価値観で構成された作品に対する評価は、果たして承認欲求を満たすか。

  7. どのような承認の仕方があり、どのように承認されると望ましいか。自分はどう望み、どう承認していきたいか。あるいは、相手はどういう承認を求めているのか、それとも全く求めていないのか。どういう承認の仕方をする人間になりたいか、というエゴがあり、相手の「ここを評価してほしい」という像もある。そう簡単に一致はしないので、対話の余地がある。

  8. 「みんなー! 楽しんでるー!?」とステージで叫びたいだけの者がいるだろうし、レスポンスとしての歓声がないとしょんぼりする者もいる。ぼくはおそらく前者で、しかも歓声が聞こえるタイプの人間かもしれない‥…。そこに加えて、ひとりでも見てくれるひとがいたら、(想像上の)ドームが満員に見える。君だけのステージだよ。まさに。

などなど。