[ノート]三人称で小説を書くことについて
現在、僕こと織倉未然が、カクヨム上で連載している小説『イナリィズ!』1は、美少女変身ものというコンセプトではじめた作品だ。
このコンセプトを選んだのは、日曜日の朝にやっているものだとか、MARVELヒーローに深く心を動かされたからだ。
それは別に、スーパーパワーとか悲しき宿命に惹かれたわけではなく、むしろそういう異常事態によって神話化された、人間精神の尊さみたいなものに撃たれたからだ。
今回は「三人称で書くことについて」を掘り下げてみようと思う。
三人称とは何か
三人称は人称のひとつで、話し手(一人称)と聞き手(二人称)以外の話に上がってくる人、物、名詞で表せる出来事などの語句のことを指す。第三人称、他称。
多くの言語では、距離による使い分けがなされ、主体から近いものを指す場合は「近称」、遠いものを指す場合は「遠称」という。日本語においては、「中称」というものもある。
フランス語には不定人称代名詞のOnというのがあって、「人、人々、だれか」という意味になったり、これから始まる文章を受動的に訳した方がいい場合がよくある。
また、興味深い事柄としてイリイズム(ileism)というものがある。自分のことを自分の名前で呼ぶこと。
小説の形式においては、「第三人称小説」というカテゴリがあり、「神の視点」や「一元視点」というのがある。
語り手を全知の存在として設定するか、特定の登場人物の視点から描くか。
僕が三人称で書こうと決めた理由
『イナリィズ!』は前述した通り、美少女変身ものだ。超能力が出てくるし、怪物が現れて、登場人物はそれと戦う運命にある。そういう意味で、僕はMARVEL作品を引き合いに出し、ヒーローという用語を並列しているわけだが、どうして僕は三人称を選択したのか。
誰かを魅力的だと感じるとき、その魅力は外部から観測されるものだからだ。
三人称で書くことの難しさ
三人称視点で描かれる小説には、大きくわけて2つのタイプがある。
1つは上にあげた「神の視点」であり、これは読んで字のごとく、書き手が神のごとく全てを知っているとして書いていく方法だ。
しかし、これはかなり難しい。
全てを知っているからといって、全ての情報を書くことは現実的でないからだ。
たとえば、『イナリィズ!』では、フラヌイ・ヒトミとエミリア・ミルヤードという二人の女の子が登場する。この二人が主要なキャラクターということになるのだが、たった二人だからと言って、その考えていることや行動を全て書くわけにはいかない。
そもそも、登場人物一人の論理や感じ方、行動を全て書いてしまえば、それは「一元視点」ではないのか、とも思う。「神の視点」は「一元視点」を内包しうるが、やはり別の手法として割り切った方が良いだろう。
今のところの気持ちとしては、『イナリィズ!』という作品では、フラヌイ・ヒトミとエミリア・ミルヤードという二人の少女を両方立てたい。どちらかに偏るのではなく……この塩梅をどうするかという点が、かなり長い間懸念事項であった。
解決方法の1つとして
至った結論としては、何かをスイッチにして、意識をラリーするというものだった。
この手法自体は、昔にもやったことがあるのだが、毎日続けないと忘れてしまうものだ。
まずは登場人物Aに寄り添う形で、思考・感情・行動を描写し、スイッチを挟み、登場人物Bの思考・感情・行動を描写する。
この方法を取ることで、Aから見たBを描くこともできるし、逆も可能になる。
当然、書き手の視点を、スイッチ(媒体)に置けば、二人の関係性とか雰囲気も描くことができるかもしれない。
「一元視点」を複数化することで、多重奏にする。
「三人称視点で書くこと」の限界
そもそも、一人称/三人称という述語の選び方が適当だろうか、という問題。
たとえば、ジェラール・ジュネットの提案した焦点化という述語に連なる論説を参照すること。