ドイツに帰りたい
ドイツに帰りたい。
あの国に具体的な良い思い出があったかというと、それは微妙だ。 ビールが美味しかったこと、サウナクラブに行ったこと、周辺各国に旅行したこと、そして何より外国語優勢の空間にいて、外国語でコミュニケーションを取っていたこと……要素としてはたくさんあるのだが、これらはすべてもう何年も前の圏域にあり、夢のように煌めいている。今となってはおよそ信じられないが、ぼくは確かにそこにいて、生きていたのだ(あるいは死んでいたのかもしれない)。
こう考えると、あの時代は拘泥する価値があるものだとも言える。
現にぼくは、あの一年足らずという歳月に、いまでもなお囚われている。いつかは帰りたいと思い、帰らねばならぬと感じ、そのための方法を探そうとしている。金さえあればすぐにでも飛んで帰りたいのだ。でもこの金という問題は、現実的な効力をもってぼくをこの街に留めている。なかなかそう簡単に、ここから離れることもできない。
その歳月は幸福に満ちたものではなかった。断じてそんなことはなかった。生を謳歌していたとも言えない。むしろふらゆる事柄を先延ばしにして、だらだらと過ごしていた。悠々自適と銘打つことができればよいのだが、実態は逆で、むしろ日々苦しんでいた。それは孤独への適応ができていなかったとか、未知の環境がストレスになっていた、ということではない。この点に関して言えば、ぼくは楽観的で、逆に楽しめもしていたのだ。問題は別にあったように思う。環境にではなく、心の方、つまりはごく個人的かつ主観的な方面で、僕は苦しんでいたのだ。