Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

なんで落ち込んでるのにTwitterじゃなくてブログを書くのか

Twitterに書くと無制限に長くなるので、ブログにした。

こういう気分のときは、Twitterに呟くことにしている。あれは投稿した側から流れていくし、後から読み返すことがほとんどないので、気分の外部化に留まるのが良い。瀉血に似ている。そもそも、落ち込んでいる時に共通するタームもないはずなので、検索も難しい。ていうか、そんなタームがあるとして、わざわざ検索をするかという話だ。気分の落ち込みという事象について、Twitterは全然役に立っていない。過去のツイートに自分なりの解決策があればともかく、そんな記憶もないので、探す気力が湧かない。そう、メインの愁訴はこの落ち込みだ。

じゃあ、意味のないことをどうして呟くのか。ひとつの理由として「外部化」は挙げた。とにかく外に出したい気持ちがそうさせる。効果はない。もしかしたら、誰かが構ってくれるかもしれないが、あまりこれも期待できることじゃない。それぞれに人生があるし、ぼくは明るいか泥酔していてけれどもまともな会話のできる人間としてありたい。ていうか、僕個人に限定していえば、落ち込んでいる相手の状況を慮って、ましてや解決に導くことなどできないと思っている。Twitter上には、ぼくより人間のできた、色んな経験をしてきている人たちが多くいるので(そういうTLを構築している)、彼らならもしかして……と思う部分はある。この路線でぼくが求めているのは、気晴らし、ディストラクションなのだ。誰かと共通の話題で盛り上がることができれば、現在的な落ち込みとかいうものは忘れることができる。

他者を介したディストラクション。なぜこれが必要なのか。気晴らしの種などいくらでもあるではないか、という意見には多いに賛同する。ぼくだって、こういう気分がない時は大いにそういったものに興じた。あのゲームは面白かったし、このアニメは楽しかった。心を動かされて、涙を流したこともある。「そんなくだらないことで悩んでいる暇があったら、自分も追いつくために努力しろ*1」」と切り替えることもできた。

問題は、自分の才能のなさだ。それに向けて取り組む意欲――根拠なき盲信と、猪突猛進気味な追及――の欠如である。あるいはそれらを惹起する物事への感受性の乏しさ。よくあるフレーズを持ち出せば、「何をやっても面白くない」とか「何もやる気が起きない」。この二つが合わさると、そりゃそうだろとなる。何もやる気が起きないから何もしないわけで、ならば何をやっても面白くないのは当然なのだ。面白さに身を投じるというのは、まず「身を投じる」というアクションを前提している。何が己が身をそこに投げ込ませるのだろうか? 簡単に言って、利益が得られると感じられるからだ。未来の、将来的な面白さ。何年待てば倍になるというような利率である。そこにくると、現在進行形で、この身からはそれを目視することができない。全ては灰色である。

自分の中から利潤を見出すことができない以上、他者に委託するしかない。彼ら彼女らが何かについて熱く語ってくれ、魅力を語ってくれるのであれば、それに相乗りすることができるんじゃないか。今まではそうできたはずだ。明日以降の課題にもなるだろう。もっとちゃんと深い話を聞き出すためにも、図書館から関連書籍を取り寄せたりもする。それ自体は楽しいことなはずだ(今の無気力からは回顧的に述べるしかない)。たとえば、あるジャンルの歴史について集中的に調べた時期があった。あの時は盛り上がった。

もちろん、いくつか限界はある。相手が暇じゃなければこの路線はアクティブにならないし、相手がオススメしてくれたところで、自分からは何もできない状態なのだから、先延ばしにしてしまう可能性もある。そうくるとウォッチパーティやらDiscordなどでの「これ最高でしたよ*2」はかなり理想的である。他者に巻き込まれてもなお落ち込んだままなのであれば、それはもう誰にもどうしようもないことだと思う。はたして、そんなよく分からない賭けに乗ってくれるひとがどれだけいるだろうか。ぼくには難しい。

第一、あんまり受動的なのもどうかと思う。仮に「助けてくれ」と言ったところで、ぼく自身が何を愛していて、何にハマっているかを語らなければ、とりつく島もないだろう。

  • ウマ娘の育成(グラスワンダーの衣装は可愛いし、無敗三冠も目指したい。マヤノトップガン、全脚質はイージーな部類だが、スキルの構成が難しい。追込でやりたい。後ろの方から急襲するさまを見たい)
  • ブルーアーカイブ
  • 小説が読みたい(西尾維新菊池寛、青ブタシリーズ)
  • 小説が書きたい
  • 無職経験者のあるあるを聞きたい。ないしは、そういう状況においても 明るく前向きに生きる方法について。

ただし、これらは一昨日までの意欲なので、今はのきなみミュートされている。誰かおれの境界的(マージナル)な好みを探りあててくれ。ぼく自身がまだ知らないけれど、「きっとこれは好きだろうな」というような。偏見でも構わないし、むしろバッチこいだ。

たまには他力本願なこともある。

*1:ぼくは努力という言葉が嫌いだ。この言葉には、何かを禁止してストイックにやらねばならないというニュアンスを感じる。好きで箇所分時間を配分することとは性格が異なる

*2:おもしろおかしいものでなくてもよい。愉悦でも大歓迎だ