Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

織倉日記(x回)

織倉日記(x回)

さすがに何か書かないと生死に関わる気がするので書きます。

今の僕がどれくらい眠いかと言いますと、地球が2つに見えるくらいですね。月面からこんばんわ。今日の相棒はペットのウサギ、ゴットフリートくんです。挨拶しろ。

ゴットフリート「ぼくは女の子なんだけど……」

どうりでお胸がタワワ・ミノルくんなわけですね。ぴょんぴょん。

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月の重力は地球のおよそ6分の1というのは、よく知られた話であります。しかしこれ、最近の研究によりますと、月面深くに存在する重力発震装置が影響しているらしいですね。月面は殻であり、中は空洞で、天体の高速回転によって、重力発震装置が地表に近づいたり離れたりすることで、6分の1が発揮されたり、されなかったりするんです。ほら、日によって月、形変わるじゃないですか。目減りしてる。あれは重力が弱まって、月がぶっ飛んでるからなんです。嘘でございます。

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先日、フェンリルの皆様に日頃の感謝を込めて、天体ビュッフェを開催しました。その時の画像がこちらです[画像1][画像2][画像3][画像4]。これには日々、太陽を追いかけるスコールさん、月を追いかけるハティさんもご来席いただき、一同星々を喰らい尽くし、大変ご満悦のご様子でした。宴の最後にはラグナロク交響楽団による、「この世の夜明け」が演奏され、一同大喜びでした。はーそんなパワーが欲しい。

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うわMac Book Pro高いなこれ。 僕の使っているやつはもうこれ何年も前の型なんですけど、iPhoneユーザーでもあることだし、今まで使ってきた愛着もあるので、できれば新しいのが欲しいと思っている。でもこれ買えないな。高すぎるな。一体どうすれば手に入るってんだ。

車を買え車を買えと、前職では言われていたが、ガンとしてノーだった。なぜなら車、乗らないし、怖いし。半年以上引きこもっていて思いもしたが、ないものはないでなんとかなってしまう。いやでも多分当時車あったら楽しかったんだろうな。車中泊しながら(車の中の方が快適では、という生活をしていたことがある)、北海道中膝栗毛してもよかった。そのままフェリーに乗って本州に逃げればよかった……などと思いもする。うん、夢がある。

なぜここで車が登場したかというと、そう、歩車分離精神だからです。Mac Book Proを新しいもの買うとすると、おそらく分割払いになると思う。ただでさえ収入が少ないから実現不可能だけど、多分これ、車を買うのと変わらない、ノリ的に。つまり不可能の線の向こう側にいる点で等しい。ただし車より実用的だし、もうちょいMac Book Proの方が現実よりか。ただそういうお金の使い方をするんだったら、iPadの新しいのも欲しい。高いな。資本主義の美徳、がんばれば(要定義)大抵のものは買える可能性がある、という点にあると思うんだけど、肝心のがんばり方がいまいちピンとこないし、比較対象たるほかの経済様式を知らないので、夢だなこりゃ。

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さて、ここで採用担当の方にご登場いただきましょう。 「Mac Book Proが欲しい? みんなそう言うんだよね。でも肝心なのは、”手に入れた後で何をしたいか””Mac Book Proで何がしたいか”、じゃない? そこから考えたら、別にMac Book Proじゃなくても良いよね? もっと有意義なことにお金をつかいなよ」

こういうことを言うひとがいるんですが、これはもう可愛いですよ。可愛い。あまり好みのタイプではないけど。多分、この発言は、Mac Book Proにそこまでの思い入れがないから出てきていると思うんですが、翻って、僕自身にMac Book Proにそこまでの思い入れがあるかっていうと、これもまた微妙で、アクティブな意見もパッと思い浮かばず、結局議論にならない。でも「はぁ…」と言うと目の前の仕事をむざむざ逃す恐れがあるので「そうですね!」ということにしている。そのひととは今後できるだけMacBookの話をしなければよいだけの話だ。ただなー

白状すると、こういう会話が苦手。彼の存立平面への同期に失敗する。極端なケースで言うと、無重力感が襲ってくるとなると、このタイミング。「ん、ちょっと待ってください、あなたはどの平面で話をしてるんですか?」となって、空間識を喪失してしまう。

別に僕はMac Book Proが絶対に良いっていうアクティブな理由があるわけじゃなくて、たんに習慣から、馴染みのあるものだから、思い出がある気がするから、というパッシヴな要素から、Apple製品を志向しているだけのことなんだよな。やることなんて、小説書いたり作曲まがいのことをしてみたり、ネットサーフィンしたり、最近はwebプログラミング他の学習をしたりしてるけど、これは多分、Mac Book Proじゃなくてもできるだろうし。

おそらく、この受動的な価値観、みたいなものがテーマになってきている。知らず知らずのうちに身についているもの、価値観、志向性。「性癖」というタームを使いはじめてからしばらく経つので、このアイディアの萌芽は個人史的に古いものかもしれない。「なんとなく」で選択してしまう部分に、もっと光を当てても良いんじゃなかろうか。相手の「なんとなく」に「いいね」と思える(言わなくてもいい)ようでありたいな、とは思うが、これはさておき、自分の「なんとなく」をどう言葉にしていくか、それをどう自覚していくか、という反省能力を求めている。そこには未だ発掘されていない歴史があるはずだし、その本性が自分を駆動し、主体なるものを演じる(このperformというのは便利で、演じることが即ち現前、とする見方でもあり、合わせて常に自分を作り変えていく永続生成とか、実存とかでもあると思う)ことになると思う。

構造主義の立場からすると、主体なんてものは存在しなくて、そう見えるものは社会の影なんだけど、ポスト構造主義の一人とされるジル・ドゥルーズによると、社会から備給されるエネルギーの吹き溜まり的なものはあるが、これもやはり主体ではないとのこと。でも僕はちょっと、ここで「やあやあ我こそは」と名乗りを上げてみたいと思っている人間なのだな。狐に半分憑かれたように、意識と無意識のハイブリット”かもしれない”中で、「なんとなく」と一緒に「これやっぱ好きですねぇ!」と語っていき、積み上げていくところに自己があるような気がするし、それを「わたし」と宣誓し続けていくことが、実存なんだと思いますよっと。