Les miZenables

ブログをメモ帳と勘違いしている

D・カーネギーの『道は開ける』が面白いよという話。

このメタリックレッドの文庫本を、必ず書店で見かけたことがあると思う。他にも青とか緑とかある。ビジネス書のコーナーには必ずあるし、そうでないところにも置いていたりする。仕事をはじめると結構なところで読むよう言われる。『入社1年目の教科書』でも言及があったような気がする。全部ぼんやりしてるな。イメージです。

なんでこの本を読もうと思ったか

人生を変える必要があったからだ。いや黙っていても人生は過ぎていくんだけど、もう少し有意義なものにしたいと思いはじめた。傾向としては前からあったのだが、エネルギーがなかった。それには色んな理由があるし、あえて考えたくもない事柄もたくさんある。確かなのは、「もう二度とああいう落ち込みの歳月に戻りたくない」という気持ちだ。
あとは、兄弟に結婚する者が現れたり、去年の末に声優たちが相次いで結婚したことも影響しているかもしれない。人生というのを考える機会になった。家庭を持ちたいという気持ちは枯れてしまっているし、別に結婚が全てではないと思う。でも、それはとてもシンボリックな出来事だ。ぼくにはそういう記念日的なものはあるか? 手に入るか? などと考えた。今のままでは無理そうなんだよな。
やりたいことはたくさんある。けれども、エネルギーのなさを理由にどれも完成しないまま、現在がある。これをどうにかしていきたい。今年こそやってくぞ、という意気込みの現れです。「デザイン思考」系の本を読んだことも影響している。「あなたにも作れます!」って言われると作りたくなる。もともと何かを作るのは好きだ。

どういう本か

目の前にメタリックカラーの文庫本が三冊あった。『道は開ける』(赤)、『人を動かす』(緑)、『話し方入門』(青)。調べてみるともう少しある。,この中でぼくが選んだのは、赤いやつだった。『道は開ける』。開けてほしい、との願いもあった。かの歴史的ベストセラーはどういう意味で「開ける」って言ってるのか、どれひとつ見てみようと思った。

読み始めてみると、案外面白い。まだ三分の1くらいだけど、「なるほどなぁ」と思う箇所が結構ある。

オスラー博士は、エール大学の学生たちに向かって、1日のはじまりに「私たちの日ごとの食べ物を今日もお与えください」というキリストの祈りを唱えるよう進めている。
心にとどめて欲しいのは、この祈りが「今日の」食べ物のみを求めている点だ。...今日のパンこそ、人間が口にし得る唯一のパンなのだ。(p.13-15)

これは「今日、一日の区切りで生きよ」という節の一部分。
実際には、今日の労働は来月のパンを買うためのものだ。でも確かに、今目の前にあるパンは今食べるために切り出したパンであり、明日以降に食べようってのは違うよな、と思った。 「一日を大切に」というのは、よく言われる言葉ではあるんだけど、この本の助かるポイントは、その主張を色んな典拠、挿話をもって補強している点にある。一言で言われても「ハンっ」てなっちゃう時もあるんだけど、これくらいの分量があると腹にたまるな。

あとは、「悩まないように忙しくあろう」というような話もある。この部分も「なるほどなぁ」と思ったポイント。ぼくにも、うつ状態だった時に無理やり働きはじめたことが功を奏して、あれこれと悩む時間が減った、という経験があるので、幾分のレゾンはある。
ただし、これを一般化するのは大変危険だと考える。リハビリとしては良いのかもしれない。けれども、地を這うばかりではフラストレーションもたまるのだ。走れるようになったなら、走ってもいいはずだし、走りたい気持ちを抑えてやってこうというのは、また病の種になると思う。
「忙しく」の捉え方が、この本の時代からだいぶ変わってきたよな、と思う。

まあしかし、「悩まない方法」というのは有益な考え方だ。これもひとつの方法として、頭の片隅に入れとく分には、今後幾分か楽になるかもしれない。